新井一二三『台湾物語──「麗しの島」の過去・現在・未来』(筑摩選書、2019年)


  著者の名前は台湾の書店で中国語を用いた作家としてよく見かけていたし、以前には『中国語はおもしろい』(講談社現代新書)や『中国・台湾・香港映画の中の日本』(林ひふみ名義、明治大学出版会)なども読んだことがあった。台湾経験の豊富な著者による新刊ということで去年のうちに入手していたのだが、しばらく多忙のため積読状態にあった。この一月、右肩を骨折して療養生活を余儀なくされ、ようやく読む時間を確保できた次第。


  本書は七つの物語から成る。「第一章 北と南の物語」は台北とそれ以外(≒南)との格差を取っ掛かりに話が説き起こされ、「第二章 母語と国語の物語」では言語とアイデンティティーの問題が語られる。「第三章 鬼と神様の物語」は台湾の日常生活に溶け込んだ宗教文化の話題。「第四章 赤レンガと廃墟の物語」は日本時代の建築の保存・リノベーションの背景がテーマ。「第五章 地名と人名の物語」はいわゆる正名運動を取り上げ、それは同時にアイデンティティーの問題とも関わる。「第六章 台湾と中国の物語」は歴史的背景の中でやっかいな中台関係が語られるが、その中における台湾再発見のプロセスにも注目される。「第七章 映画と旅の物語」では映画「練習曲」と環島ブームとの関わりを念頭に置きつつ、自ら台湾一周旅行に出かける。 総じて、台湾が身もだえしながら自らのアイデンティティーを見つけ出していく物語と言えよう。


  著者自身の台湾滞在経験や台湾の友人知人からじかに聞いた話もおりまぜた連作エッセイのおもむき。台湾社会を考える上で必要なトピックは過不足なく網羅され、一つひとつ掘り下げられたエピソードを通して、この社会の多様な側面をうかがい知ることができる。確かな息遣いが伝わってくる叙述は、勉強するというよりも、ゆっくり読書を味わうタイプの本である。


  ただ残念ながら、歴史や宗教文化に関する説明には誤りや説明不足もあって、私自身にとっては隔靴掻痒の感があったことも否めない。このタイプの本には基本的に好意的であるだけに、ちょっと残念である。ゲラ段階で歴史の専門家にチェックしてもらえば良かったろうと思うし、一部は編集・校正がしっかりしていれば防げたミスである。


・冒頭の「台湾概略図」からしておかしい。地図中に台北県、桃園県、台中県、台南県、高雄県と記されているが、2010年以降の県市合併・直轄市化でこれらはすでに存在しない。古い地図を参考にしたのであろう。
・「媽祖信仰の中心地が台湾西海岸の中部ならば、南部では王爺の存在感が大きい」(99頁)としているが、台南近辺にも有力な媽祖廟があり、台南在住者としては違和感がある。また、王爺の由来に関連して「宗教学者に尋ねても「なにせ民間信仰ですから」としか答えてくれない」(100頁)と記されている。確かに王爺の由来には諸説あって背景は複雑だが、それだけ多くの論文もあり、単に著者が読んでないだけでしょ、としか言いようがない。
・「柳田國男の同郷の友人であった人類学者伊能嘉矩」(161頁)というのもおかしい。柳田は播州の出身、伊能は遠野の出身。『遠野物語』成立の来歴を知らないのだろう。
・「蒋介石夫妻がクリスチャンだったことも影響し、欧米出身の宣教師たちが山地で熱心に布教活動を行うようになった。その結果、一時はほとんどの原住民がクリスチャンとなったほどである」(163頁)という記述も大雑把すぎて突っ込みたくなる。日本統治下で「日本精神」を植え付けられた原住民族の戦後における精神的空白、欧米宣教団の物資援助など、もっと重要な要因を無視して蒋介石・宋美齢の影響力に帰してしまうのは単純すぎる。
・「1661年 明の遺臣で日中の血を引く鄭成功が、オランダを台湾から追放」(176頁)→1661年は鄭成功軍団が攻め込んだ年で、オランダ人が降伏したのは翌1662年である。
・「台湾特有の歴史の中で、民進党は右翼政党とみなされてきた経緯がある」(189頁)→言い過ぎではないか。前後の説明を見ても説得力がない。確かに台湾ナショナリズムに右翼的側面はあるが、他方で人権問題から出発した来歴に注目すれば右翼とは言い切れないだろう。そもそも、右/左の定義が曖昧。
・「台湾の独立建国を目指す動きは、台湾民主国が清朝からの独立を宣言した時にさかのぼる」(196頁)→台湾独立派のイデオロギーとしてそういう議論はあるが、実際には形式的に独立の体裁で清朝へ戻ることを意図していたし、そもそも当時の段階で台湾レベルのアイデンティティーがあったとは考えられない。


  本書はゆっくりと味読しながら台湾に思いを馳せるという点では良い本だと思う。ただし、上記のように記述上の細かな点では問題があるので、レポートや論文の参考文献にはしない方が良い。