日本統治時代臺南における主要な学校の沿革について、分かる範囲で整理した。基本的な関心は、日本統治時代初期における日本語教育機関の状況を把握しておきたいという点にあるが、ついでなので全体的な表にまとめた。

  1895年の日本領台以前においては長老教会が設立した三つの学校がある(訓盲院は宣教師ウィリアム・キャンベルの設立)(追記:台南神学院の前身も含めると計四つになる)。領台後においては仏教系宗派がそれぞれ1896年に臺南国語学校(曹洞宗)、開導学校(真宗本派本願寺)、1897年に大谷学校(真宗大谷派本願寺)を設立しており、いずれにせよ領台前後においては宗教系の学校が目立つ。台湾総督府は同年に国語伝習所を設立しているが、本格的な学校は1898年設立の臺南師範学校及び臺南第一・臺南第二公学校まで待たねばならない。

  長老教会系学校はキリスト教布教を目的としていたが、それに対して上記仏教系の三校は日本語教育を主としていたという相違がある。仕事で日本語が必要と感じた台湾人を相手に授業を行っていた。1898年に臺南師範学校が公学校と同時に設立されたものの、当然ながら公学校の課程を修了した台湾人がゼロの状況であったため、臺南師範学校設立時の入学者の大半は仏教系日本語学校の卒業生だったという。また、上記のうち開導学校は台湾人向けの日本語課程(本科と夜間コース)のほか、日本人向けの夜間台湾語課程も設けており、警官や憲兵などが学びに来ていた。
190303 臺南市内の学校一覧表_pages-to-jpg-0001
190303 臺南市内の学校一覧表_pages-to-jpg-0002
190303 臺南市内の学校一覧表_pages-to-jpg-0003