2019年1月23日。樂信瓦旦紀念公園を見た後、来たのと同じ道をそのまま戻る。角板山公園、両蒋文化園区のそばを通過して、大渓へたどり着くまでスクーターで1時間弱くらい。

  大渓には10年近く前にも来たことがあった。旅行者として来たのだが、その頃はまだ中国語はあまりよくできず、スリルと若干の不安を抱きながら台北からバスに乗って来た。それが今ではスクーターを乗り回して気軽に動き回っているという自分自身の境遇の変化を思い返し、色々と感慨深い。その時のことはブログに書いてあった。

  大渓には日本統治時代の1932年に大渓神社が創建されており、現在は大渓中正公園として整備されている。中正とは蒋介石のことである。介石は字で、中正が名であり、台湾(中華民国)では蒋中正と言われる。公園の敷地隣にかつて蒋介石の別邸があったことにちなんで中正公園と呼ばれており、公園内には蒋介石の騎馬像が建っている。台湾の民主化以降、移行期の正義の理念に従って脱蒋介石化が進む中、蒋介石像が撤去されたり、彼にちなむ地名が改名されたりという動向が続いているが、桃園市はもともと国民党系の勢力が強かったせいか、大渓に関してはまだ脱蒋介石化の影響は見られない。

  他方で、公園内に掲げられた案内表示を見ると、大渓神社だったという過去を掘り起こしている様子も見える。例えば、日本統治時代に相撲場であった場所は、戦後に取り潰されて池になっていたらしいが、10年前に私が来た時には広場として整備されていた。今回来てみたら、その広場に相撲場が復元され、大きな相撲取りの人形まで置かれている。周囲に残存していた日本式家屋もリノベーションが進み、日本情緒を漂わせる観光施設となっている。蒋介石像に象徴される中華民国イデオロギーと、歴史の見直し及び観光による町おこしとしての日本情緒とが共存した実に不思議な空間である。これもまた歴史認識の多元化と解釈すれば、いかにも台湾らしい。


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  旧大渓神社の参道と灯篭、狛犬は残されているが、神社のあった土台の上には悠然亭という二階建ての建物が建てられている。


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  大渓中正公園の前に「総統蒋公紀念堂」と記された門牌がある。位置と門牌の形式から考えると、かつての大渓神社の鳥居を戦後に改造したものかもしれない。


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  大渓中正公園の周囲にある日本式建築は、現在、「桃園市立大渓木藝生態博物館」として整備中である。下の工事公告は大渓公会堂のリノベーションを示している。


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  武徳殿とはかつて「大日本武徳会」が日本武道の普及を目的として建設された施設で、かつて日本の植民地にあった神社の隣にはたいてい武徳殿が建てられていた。日本ではあまり見かけないが、台湾では各地で見られる。大渓の武徳殿は現在、修復された上、イベント・ホールとして利用されている。この武徳殿も「桃園市立大渓木藝生態博物館」に含まれている。



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  大渓には1920年代くらいに建てられたバロック式の商店街が残っており、「大渓老街」として有名な観光地になっている。


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(写真は2019年1月23日に撮影)