2019年1月23日。中壢でスクーターを借り、まず両蒋文化園区へ行ってから、さらに山地へ向けて進む。ところどころ勾配が急な個所があったり、うねるようなカーブが連続していたり、山地へ入りつつあることが分かる。100CCのスクーターを借りたのだが、角板山へ行くと言ったら、お店の人から「あそこは山地だから、坂を上り切れないかもしれないよ。125CCの方がいいと思うよ」と言われたのを思い出し、若干、不安がよぎる。まあ、結果的には問題なかったが。一本道なので迷う心配はない。他の通行車両も少なく、景色はきれいで、走行していて快適であった。
角板山はタイヤル族が住む地域であり、現在は桃園市復興区(以前は復興郷)とされている。区役所を中心としたあたりに中心街が形成されており、両蒋文化園区からここまでスクーターで30分ほどだった。この中心街の近くが角板山公園となっており、その中に角板山行館がある。
角板山行館とは蒋介石の別邸である。つまり、タイヤル族の居住地域の中に別荘があったのである。角板山の別邸は標高の比較的高い所に位置しているので、あるいは避暑地のような位置づけだったのかもしれない。ふもとの慈湖にも彼の別邸があり、そこから来やすい山地なので、ここが選ばれたのだろうか。邸内は蒋介石を顕彰する記念館となっている。蒋介石が角板山で過ごしていた時の写真が展示されており、中には現地のタイヤル族から歓迎される写真もあって、現地のタイヤル族と親しく交流していたと強調されている。
ところで、医師でタイヤル族のリーダー的存在であったロシン・ワタン(楽信·瓦旦、林瑞昌、日野三郎、1899-1954)も角板山の出身である。台湾総督府医学校の出身で、日本統治時代から活躍、戦後も台湾省参議員や省議会議員に当選したが、1952年に「高山族匪諜事件」でツォウ族の高一生らとともに逮捕され、1954年に処刑された。角板山行館内の展示では、ロシン・ワタンには全く言及されていない。何かの本で蒋介石が角板山を訪れたときにロシン・ワタンが案内している写真を見たことがあるが、ここでの写真展示には含まれていない。意図的にロシン・ワタンの話題を外しているように見える。ここは脱蒋介石化の論調からは影響を受けていないようである。
公園内に「角板行宮博物館」なるものがあるのだが、中はからっぽ。また、「角板山自治公園」という碑文もある。碑文に「高本恵子」という名前が見えるのだが、何者だろうか? 日本名を名乗っているタイヤル族の人だろうか?
(写真は2019年1月23日に撮影)
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