魏明毅《靜寂工人:碼頭的日與夜》(台北市:游擊出版,2016年)

  基隆は清代後期からすでに開港地となってはいたが、日本統治時代に大規模な浚渫工事が行われ、また台湾縦貫鉄道の起点でもあり、日本との間を結ぶ定期航路の台湾側玄関口として位置付けられることで、近代的な港湾都市として発展した。港湾都市としての発展は、単に旅客の乗換地点になっただけでなく、流通の結節点として不可欠なポジションを得たことを意味する。

  かつての時代、貨物の積み下ろしは人力に頼っていたが、いわゆる「クーリー(苦力)」とも呼ばれた港湾労働者が基隆の埠頭で働いていた。台湾各地からやって来た彼らは、ある種の男社会を形成し、彼ら相手に商売をする露天商や食堂、さらには歓楽街の女性なども含め、一つの独特な文化を現出させていた。

  本書『靜寂工人:碼頭的日與夜』(静かな労働者:埠頭の昼と夜)は、そうした基隆埠頭の労働者文化を知る人々への聞き取り調査をもとにまとめられたエスノグラフィーである。著者はもともと心理学のカウンセラーで、大学院に入り直して人類学を専攻し、本書はその修士論文をもとに書き直したものらしいが、ノンフィクション作品と言ってもいいほどこなれた筆致で読みやすい。目次は下記の通り。

序章 從會談室掉進田野地(面談室から出て、フィールドにはまりこんだ)
第一章 基隆港的碼頭邊上(基隆港の埠頭にて)
第二章 彼時,那海洋邊上的少年與壯丁(あの時、あの海辺にいた少年と壮年男性)
第三章 茶店仔裡的阿姨仔(「茶店」のおばさんたち)
第四章 失格
第五章 他們是我們(彼らは私たちである)

  かつての基隆埠頭は、出身地も異なる男たちが実力勝負する社会で、非常にマッチョな労働者文化が形成されていた。閩南語で仕事ができる奴という意味の「gâu」という言葉が、男らしさの威信を示すキーワードとして本書では析出されているが、これには「男は女遊びしてなんぼ」みたいな感覚も含まれていたらしい。家庭を顧みず、「茶店」の女性のもとに泊まって家には帰らないということも普通のこと。逆に言えば、家庭に男の居場所もなくなっていた。

  他方、埠頭では機械化が進み、1970年代以降は彼らの労働力としての需要は減少していく。それでも当面は政府の保護政策もあったが、1990年代に入って経済システムが完全に転換し、必然的に失業する。家庭へ戻った彼らを待っていたのは、失敗者の烙印を押され、肩身の狭い老後である。

  本書の問題意識は、単にかつて基隆埠頭にあった労働者文化を描写するだけにとどまらない。むしろ、新自由主義的な経済合理化の趨勢の中で、底辺労働層にまでその影響が浸透し、時代の変化についていけないまま失敗者の烙印を押されていく悲哀の方に重点が置かれている。かつての「gâu」(男らしさ)という感覚は、現代の我々の倫理観からして必ずしも好ましいとは言えないかもしれないが、ただ、それは彼らなりに尊厳の感覚をも確保していた。社会的主流派の視点から、「時代に合わなかった失敗者」と単純化してしまうわけにはいかない。そうした問題点を意識しながら、人類学的エスノグラフィーの手法によって彼ら自身の内面世界を捉え返そうとしているところに本書の意義がある。