呂紹理《水螺響起:日治時期台灣社會的生活作息》(遠流出版,1998年)

  本書のタイトルを日本語に訳すなら、『汽笛が響く:日本統治時代台湾社会の生活』とすればいいだろうか。「水螺」とはたぶん、もともとはタニシみたいなのを指すと思うのだが、その形からの連想だろう、台湾語では汽笛を意味する。伝統的な農耕社会での時間感覚は自然の運行に従っており、日が昇れば働き始め、日が暮れれば家へ帰った。ところが、例えば製糖工場は汽笛(水螺)を鳴らして始業時間を知らせ、労働者は一斉に作業を始める。こうして人工的に画一化された時間が人々の生活の中へと浸透し始めた。つまり、「時間」という着眼点から植民統治期台湾における「近代」の浸透を描こうとしているのが本書のテーマである。

  本書は台湾史の中でも社会史や日常生活史の方ですでに古典の地位を得ているように思う。私自身、台湾史関係の書籍で好きなものを挙げよ、と言われたら、まずこの本を挙げる。本書の目次は下記の通りである。

第一章 緒論
第二章 鐘錶的發展與世界標準時間的建立(時計の発展と世界標準時間の確立)
第三章 日治時期新時間制度的引入(日本統治時代における新しい時間制度の導入)
第四章 交通與產業活動中的作息規律(交通及び産業活動における労働と休息の規律)
第五章 休閒生活的重組(レジャー生活の再構築)
第六章 結論

  過去の人々と現代の我々とでは「時間」の感覚が違っていたであろうというのはただちに想像できるが、では、それをどうやって論証できるか。そもそも「時間」というのは、日常的に身近でありつつも、曖昧で抽象的な概念でもあり、具体性を以て議論するのが意外と難しい。

  本書では、道具と制度という二つの側面から検討される。第二章では貿易統計に基づいて台湾での時計の輸入量を論じているが、重要なのは第三章以降で検討される制度に関わる論点であろう。制度の問題では時間の標準化が論点となる。それは様々な形態を取ることになるが、例えば、まず台湾総督府が推進した政策が挙げられる。また、学校教育制度も生徒に時間順守の生活規律を叩きこんだという点で無視できない。鉄道を運行するには正確な時間が必要だし、冒頭に紹介した製糖工場の事例からは、生産効率の観点から労働者管理に時間が不可欠なことも示されている。1930年代以降におけるラジオの普及も重要である。

  本書は単に社会史や日常生活史といった分野の古典として重要というだけでなく、「時間」というテーマがそもそも色々な議論のきっかけになり得るところが面白い。例えば、鉄道や工場といった話題からは、時間感覚が産業発展のいわばインフラとなっていたことが分かり、さらに言えば資本主義展開の歴史の中で位置づけて議論できる。本書では主に時間の規律化を植民地政府の権力と結び付けて論じているが、論点をさらに生活規律化の方へずらしていけば、いわゆるフーコー的な「生政治」の観点から台湾史を論ずることだってできてしまう。いずれにせよ、読者自身の関心に応じて発展的な議論のきっかけになり得るという意味で良書だと思う。