2018年10月26日の午後、オランダの歴史学者で東アジア海域史の専門家として知られるレオナルド・ブリュッセ(Leonard Blussé、中国語では包樂史、日本ではブリュッセイとも表記される)教授の講演会が台南の成功大学(歴史系館振芝講堂)にて開催された。テーマは「Johan Nieuhof 1618-1672 The First European Tourist in China(ヨーロッパ最初の中国旅行作家ヨハン・ニーウホフ)」。


  Johan Nieuhof(1618-1672)は17世紀に傭兵や商人として世界中を回った数奇な人物で、1655-1657年にかけて、オランダ東インド会社が派遣した使節団のメンバーとして中国へ渡った。多才で好奇心旺盛な彼は画家・文筆家としての才能も持ち、広州から南京を経て北京を往復した旅行中の見聞をイラスト入りの紀行文にまとめた。それが兄Hendrickの手によって出版されるとベストセラーになり、一躍有名人となる。彼の記した内容やイラストには面白おかしく改変された箇所が目立ち、それはおそらく兄の手になるようだが、いずれにせよ、Johan Nieuhofの紀行文は、例えばシノワズリー(中国趣味)という意匠など、ヨーロッパにおける中国認識に大きな影響をもたらしたと言われる。ブリュッセ教授は、17世紀東アジアにおける政治的変動(江戸幕府の成立、明清交替、鄭成功の台湾占領など)に注意を促しつつ、東アジア海域世界という大きな背景の中でこの不思議な才人の生涯を紹介してくれた。


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  ブリュッセ教授の講演会があるというので、慌てて著作を探し、中国語版の《看得見的城市:全球視野下的廣州、長崎與巴達維亞》(賴鈺匀、彭昉譯,蔚藍文化,2015年/原著はVisible Cities: Canton, Nagasaki, and Batavia and the coming of the Americans, Harvard University Press, 2008)にざっと目を通したところ、日蘭混血女性コルネリアの話が出て来て、それで思い出した。以前に、ブリュッセ教授の本を確かに読んだことがあった。『おてんばコルネリアの闘い:17世紀バタヴィアの日蘭混血女性の生涯』(栗原福也訳、平凡社、1988年)の著者であった。日本語訳版では著者名がブリュッセイと記されているので、Blusséというアルファベット表記と微妙に結び付かなかった。オランダ商館員ネイエンローデが日本人女性との間に設けた娘コルネリアは、父から莫大な財産を受け継いだ後にバタヴィアへ移ったが、彼女の財産目当てに結婚した相手からドメスティック・バイオレンスを受け、その泥沼訴訟を本書は描き出している。他にも、『竜とみつばち:中国海域のオランダ人400年史』(深見純生、藤田加代子、小池誠訳、晃洋書房、2008年)も読んだ。Johan Nieuhofについては本書82-87頁でも描かれている。いずれにせよ、東アジア海域における多層的な関係構造というマクロな視点を持ちつつ、同時にその中で活躍する個々人の生き様をヴィヴィッドに描き出しているところが、ブリュッセ教授の著作の魅力であろう。


  講演会は当初、英語で行われる予定だったが、急遽方針を変えてとても流暢な中国語で、ユーモアたっぷりにお話しくださった。ブリュッセ教授は言語の天才で、中国語やヨーロッパ諸語はもちろんのこと、日本語もできる。かつて台湾大学人類学系に二年間留学していた際、曹永和から直接薫陶を受けたという。質疑応答で曹永和のことを尋ねられると、まるで親子のような関係だったと懐かしそうにお話しになった。曹永和の勧めで日本へも留学し、中村孝志や岩生成一なども紹介してもらったらしい(なお、コルネリアについて最初に書かれた論文は岩生成一「甲必丹の娘コルネリアの生涯」であった)。当時の台湾大学には中華文明第一主義のような教授があふれかえっていた中、日本時代に教育を受けた曹永和はそうした人々と違った謙虚な態度だったと振り返っておられたのも印象的だった。


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  《看得見的城市:全球視野下的廣州、長崎與巴達維亞》は内容的に日本とも関わるし、なによりもマクロな歴史的視野における議論をコンパクトな講演形式でまとめられているので、日本語訳が出てもいいのではないかと思ったが、ただ、『竜とみつばち』と重複する部分が多いかもしれない。