2018年9月9日、台南市内の呉園にて王育徳記念館が開館した。王育徳(1924-1985)は台南の出身。台北高等学校を経て東京帝国大学に学んだが、日本の敗戦により台湾へ戻る。兄の王育霖(1919-1947)が二二八事件で行方不明となると、日本へ亡命し、東大に復学した。


  王育徳の生涯からは情熱的な学究という印象を受ける。不本意にも離れざるを得なかった台湾への思いは、一方で台湾の言語、文学、歴史の研究として具現化し、とりわけ台湾語研究では第一人者と言えるし、『台湾 苦悶するその歴史』などの著作も発表した。他方で、雑誌『台湾青年』を創刊し、台湾独立運動に身を投じた覚悟のほどからは、情熱的な政治活動家としての側面もうかがえる。また、台湾籍元日本兵に対する日本政府の不公正な態度に憤り、その補償問題にも熱心に取り組んだ。


  彼は台湾独立運動に献身したがゆえに国民党政権からブラックリストに載せられ、終生にわたって故郷へ帰ることはかなわなかった。台南に王育徳記念館が開館し、ここにようやく彼は里帰りを果たしたと言えるのかもしれない。


  9月9日はまず開館式に先立って、呉園からほど近く、生家のあった場所に「王育霖・王育徳兄弟故居」の所在を示す史跡標示が掲げられた。


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  次に、呉園にて開館式が催された。王育徳夫人の王雪梅さん、娘の王明理さん、孫の近藤綾さんといったご遺族をはじめ、生前からの関係者、研究者、政治家、メディア関係者など様々な人々が参列し、非常に盛況であった。王育徳自身が作詞・作曲した歌を日本のバリトン歌手・古川精一さんが歌い上げ、台湾の著名な詩人・李敏勇さんが「逃亡、帰郷──紀念王育徳前輩」と題した詩を披露してくれた。


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  王育徳記念館は呉園に以前からあった建物を利用して開設された。彼の生涯について詳細なパネル展示で紹介されているだけでなく、生前の遺品も展示されている。再現された書斎からは、彼の思索の一端を垣間見せてくれる。


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  午後は台湾文学館の会議室にて、王明理さんの司会により、日本語、中国語、台湾語が飛び交う形で座談会が開催された。台湾籍元日本兵の補償問題を考える会や、王育徳が教鞭を取っていた明治大学の元ゼミ生の方々が、それぞれの立場でご覧になった王育徳について語ってくれた。彼は補償問題と台湾独立問題とをつなげることなく、それぞれ分けて考えて取り組んでいたこと、明治大学の授業では台湾独立について語ることはほとんどなく、現代中国問題を考察する内容だったことなどに私は関心を持った。


  最後に発言に立った元ゼミ生の方は、恩師を思って感極まったのか、嗚咽して言葉が出なくなり、会場の涙を誘った。生前を知る方々の語り口や表情を通して、王育徳の人柄がしのばれるようにも感じられた。