今まで何度も書いてきたことだが、私の父方の祖母は台湾生まれのいわゆる「湾生」である。その父(つまり私から見れば曾祖父)の代に台湾へ渡って来た。一家が台湾でどのように引っ越しをしていたのか、とりわけ曾祖父の移動歴に関心を持っている。戸籍資料を見れば彼らの足取りをたどることができるのではないかと考え、台湾の戸政事務所に連絡を取ってみた。

  事前に私が把握していた情報は次の通りである。第一に祖母と曾祖父の名前、第二に祖母の生年月日、第三に祖母が生まれた淡水の地名(番地までは分からず)、第四に最後に住んでいた台北の住所(祖母の生前に聞き取ってメモしてあったので、番地まで分かっていた)。以上の事項を記載して、新北市淡水区戸政事務所と台北市中正区戸政事務所にメールを送ったところ、双方から該当する記録があるという返答をいずれも一週間以内にいただいた。

  日本でも同様だが、戸籍関係資料は直系親族だけしか閲覧はできない。戸政事務所からの返信では、戸籍閲覧申請には次の二つの証明書が必要だと説明されていた。第一に、本人確認のできる証明書(パスポートなど)。第二に、申請者本人と申請対象者との親族関係を証明できる書類。これは具体的には戸籍謄本となるが、日本で発行された公的書類を台湾で用いる際には、台湾の外交部門(台北駐日経済文化代表処)で認証を受けないといけない。

  私はまず父の戸籍謄本を取り、そこには父の息子たる私自身の名前と、父の母親たる祖母の名前が記載されている。同時に祖父の戸籍謄本も取った。そこには祖父の息子たる父の名前、妻として祖母の名前、そして祖母の両親の名前も記載されている。つまり、父と祖父の戸籍謄本を合わせて、私と曾祖父との親族関係が証明されることになる。私の場合は、父、祖父のいずれも同一の場所(日本における私の住所と同一の区内)に戸籍があるので手続きは一回で済んだが、例えば祖父母の戸籍が別の市町村にある場合には、少々手間がかかるかもしれない。

  こうして取得した二つの戸籍謄本は、台北駐日経済文化代表処でそれぞれ認証を受けないといけない。認証は1件あたり1600円が必要なので、合計3200円かかった。認証を申し込んでから二営業日目に受け取ることができる。台湾の戸政事務所へ提出するのはコピーのみで、原本は返してくれるから、一揃い分だけ認証を受ければいい。

  淡水の戸政事務所で上記書類を提出した際には、中国語の訳文を求められた(台北市の戸政事務所では特に求められなかった)。私は用意しておらず、その場で内容を口頭で説明したので問題はなかったが、「私たちは日本語は分からないので、次回からは訳文を添付してくださいね」と言われた。日本で取得した戸籍謄本の訳文は用意していく方が無難かもしれない。

  私は訳文は用意していなかったが、戸籍謄本のコピーの上で関係人物の名前にマーカーを引き、簡単な家系図をまとめた別紙も用意して戸政事務所の職員に渡した。こうしておくと目で見て分かるので、説明がしやすかった。

  なお、台北市中正区戸政事務所からのメールの返信では、上記書類と郵送料等1000元を送付すれば、必要な戸籍書類を日本へ送ってくれる、と書かれていた(淡水の戸政事務所からはそうした申し出はなく、来所を歓迎するとだけ書かれていた)。参考のため申込フォーマットを掲げておく。申請種類として「日據時期調查簿謄本」という項目があるから、こうした申請自体は珍しくないのだろう。

戶籍謄本申請書-001


  私は台南在住者なので、台北へ行く機会は限られている。ちょうど2018年9月6日より台北・南港の中央研究院で開催される「第三回台湾研究世界大会」の傍聴に行くつもりだったので、ついでに調査することにして早めに台北入りした。

  9月5日午前、まず淡水へ行った。私の祖母は淡水の生まれである。曾祖父は当時、淡水街役所に勤務していた。駅前からバスに乗り、淡水行政中心まで行く。淡水戸政事務所はこの中にある。

  台湾の公的機関ではたいてい入口に案内ボランティアが待機している。私が来意を告げても、どうも趣旨がよく呑み込めなかったらしく、「あなたは外国人で、国民身分統一編号は持ってないでしょう? 戸籍簿は電子化されているから、そんな古い時代のものは検索しても見つからないと思いますよ」と言われた。「いや、事前に連絡を取って、担当者から、ある、という返事はもらっている」と反論したところ、ようやく電話で連絡を取り始めた。正規の職員が出てきて、そのまま窓口へ案内してくれた。なお、台北市の戸政事務所では、案内ボランティアの人に「日本時代の戸籍資料を調査したい」と告げたら、すぐに窓口へ案内してくれた。台北の方がこうしたケースに慣れている印象を受ける。

  戸政事務所では、一般台湾人と同様に普通の受付窓口に座ってやり取りをすることになる。私が調査目的を説明すると、係員はすぐにキーボードを叩いて検索を始め、その場でプリントアウトしてくれた。日本統治時代の戸籍調査簿もすべてスキャンしてネットワーク・システムに取り込まれているようだ。ただし、係員は漢字は分かるにしても、日本語は読めない。プリントアウトした戸籍簿をところどころ指さしながら、「これはどういう意味ですか?」と説明を求められることもある。ある程度の確認ができてから、申請書類にサインして、ようやく目的のものを入手できた。日本統治時代の戸籍資料はやはり通常の戸籍事務とは性質が異なる。職員としても少々戸惑っている様子だったから、適宜説明してあげないといけない。中国語による一定以上のコミュニケーション能力が必要になるので、自信のない人は中国語の分かる人について来てもらう方がいいだろう。

  同日午後、台北市内に戻る。「東門町二百十七番地」に住んでいたということは祖母から聞いてメモしてあった。ここは現在の台北市中正区にあたるので、MRT善導寺駅で降りて、すぐ前の中正区行政中心の中にある戸政事務所へ行った。前述の通り、こちらではスムーズだった。プリントアウトしてもらった資料を持っていったん宿舎へ戻り、一通り目を通したところ、戸籍資料には転出元・転出先も記録されているので、曾祖父は淡水へ行く以前、艋舺に住んでいたことを初めて知った。まだ午後4時で時間はある(戸政事務所は平日なら夜8時までやっている)。すぐに萬華区戸政事務所(MRT龍山寺駅の上)へ駆けつけて、同様に戸籍申請を行った。艋舺にいたときの記録を見ると、その前の転出元は桃園廰となっている。これも初めて知ったことである。

  萬華区戸政事務所の係員に、「中正区戸政事務所で取得した戸籍資料に艋舺の記載があったから、ここまで調べに来た」という趣旨のことを説明したところ、「戸政事務所はネットワークでつながっているから、中正区戸政事務所でも同じことが調べられたはずですよ」と教えられた。ということはつまり、淡水まで行く必要もなかった、さらに言うと、台南の戸政事務所でも調べられたということである。初めてのことだから分からないし、また各戸政事務所の雰囲気も知ることができたから、これはこれで良かったと思う。もし非居住者が日本から来て調べようとするなら、台北市内の戸政事務所で申請すると比較的スムーズだと思う。

  なお、私はこの記事中で戸籍資料という言い方をしたが、正確に言うと戸籍ではない。曾祖父の本籍はあくまでも日本内地(広島県)にあった。諸事情により父親がいなかったので、叔父を戸主としており、台湾の現住所は寄留先という扱いである。