【書籍】乃南アサ『六月の雪』(文藝春秋、2018年)

  日本統治時代の台南に生まれたいわゆる「湾生」の祖母から若い頃の話を聞いた三十歳代の主人公。彼女は病床にある祖母に代わって台南へ行き、現地の台湾人と交流しつつ、それまで全く知らなかった台湾と日本との関わりに驚く、というのが本作品のアウトライン。

  さて──。かく言う私自身が台南在住者で、この作品で描かれる光景の一つひとつに馴染みがある。「湾生」の祖母を持つ点では主人公と共通点があるし、台湾史を研究している身として本作品の背景はすべて理解している。

  しかしながら、私は本来ならば最も共感を寄せるべきはずの立場であるにもかかわらず、読みながらなぜか距離を感じた。ストーリーに身を委ねることができなかった。『凍える牙』など過去の乃南作品も読んで面白く感じたことはあるが、今作に関しては直木賞作家へ期待するようなストーリー的な醍醐味が全然ない。家族の物語として語られていても、台湾という要素が牽強付会な不自然さしか感じられない。結論から言えば、人物造型も歴史理解も平板なので、物語は精彩を欠く。

  台湾の歴史的背景について、登場人物の語りを通して説明させているが、これがくどい。歴史はあくまでも後景に抑えて、ストーリー的な面白さの方を際立たせることはできなかったのか? 語られている歴史解釈もステレオタイプで、おそらく誰かから聞いた内容をそのまま引き写しているのだろう。乃南氏が以前に刊行した紀行エッセイ『美麗島紀行』(集英社、2015年)も、歴史を説明する箇所はすべて伊藤潔『台湾』(中公新書)からの引用の切り貼りで、興ざめした覚えがある。プロの作家であるならば自らの言葉で歴史を語るのが本来で、頭の中で咀嚼しきれていないものを書き散らすべきではない。

  台南で丹念に取材したであろうことは分かる。だが、逆に言うと、取材して知り得た題材をパッチワークする形でストーリーが組み立てられているだけという印象も受ける。だから、ストーリーそのものがつまらない。

  各地に残る日本統治時代の建築、日本語を流暢に語る老人の存在、いわゆる「親日感情」、そして二二八事件や白色テロ、そして取材の過程で出会った様々な人々の語り──おそらく、取材で聞き取ったエピソードの一つひとつに驚きを感じ、それを読者に向けて余すところなく伝えたいと思ったのだろう。その気持ちは分からないでもない。台湾に関心を持った日本人の、少なくとも一部は同様の経験を経ているし、私自身とて例外ではない。

  だが、その手の台湾本は、自費出版も含め、いくらでもある。本作の文章はプロのものでも、作品に通底する発想が台湾に感動した凡百の素人本の域を出ていない。乃南アサのような手練れの作家に、私はそんな凡百の台湾感動本を期待していない。

  主人公の設定には奇妙な矛盾がある。主人公は歴史に疎く、台湾が日本の植民地だったことすら知らなかったという。他方で、本作には「確かに中学か高校の世界史の授業で、蒋介石という名は聞いている。だが、彼は中国の民主化に尽し、台湾を救ったヒーローで、全国民の愛と尊敬を受けていると、そんな印象を持っていた」(147頁)という記述もある。彼女は、台湾が日本の植民地だったことを知らなかったが、では、蒋介石はどこから台湾を「救った」というのだろうか? そもそも、かつての台湾の歴史教科書ならいざ知らず、日本の中学・高校の教科書で、「蒋介石が台湾を救った」などという記述が果してあり得るのだろうか?

  以上の矛盾を敷衍して考えると、次の構図が導き出される。
・台湾が日本の植民地だったことを知らない→外国と思っていた台湾に「古くて懐かしい日本」が残っていることへの驚き→植民地時代へのノスタルジーを強調
・「蒋介石は中国の民主化に尽し、台湾を救ったヒーロー」という教科書(?)的記述→実は蒋介石は恐怖政治を敷き、台湾人から嫌われていることを知って驚く→国民党への忌避感を強調

  本作品では「無知や間違った認識→反転→驚き」という論法が随所で用いられているが、上記の問題に関して言うなら、主人公が歴史に無知であったがゆえに植民地時代へのノスタルジーが強調され、蒋介石を英雄だと誤認していたからこそ、国民党への忌避感が際立つ。両者を比較させることで、日本の植民地支配を何となく肯定する雰囲気を醸成している。主人公の知っていること、知らなかったことの設定の仕方が極めて恣意的なのである。

  私の批判も恣意的であろうか? 著者自身はおそらく、そんな意図はないと言うだろうが、そのように読めてしまうのだから仕方がない。はっきり言って、脇が甘い。著者は取材を通して台湾にまつわる個々の事実関係については知識を身に付けたであろうが、それらが台湾史の脈絡の中でどのような意味を持つのかが分からないまま、この作品を書いてしまっている。歴史への洞察がないにもかかわらず、不用意に歴史的エピソードを切り貼りしてちりばめているから、読んでいて興ざめするのだ。

  歴史を全く知らないという設定の主人公と、家庭内不和から幼少時に過ごした台南を懐かしく思い出す祖母というキャラクター造型は、著者の知り得た台湾情報をパッチワークするために作られたご都合主義という以上の意味を持たない。彼女たちを通して示されているのが何かと言えば、所詮、著者自身の持つ日本人目線の自己満足ノスタルジーに過ぎない。

  台湾感動ストーリーはもういらないよ。台湾の歴史や社会を背景としつつ、ストーリーそのもので読ませる小説を読みたいものだ。