李衣雲『台湾における「日本」イメージの変化、1945-2003──「哈日現象」の展開について』(三元社、2017年)

  「哈日族」という言葉が人口に膾炙するようになってすでに久しい。「哈日族」とはつまり、台湾における「日本大好きっ子」を指す。哈日杏子『早安!日本』(1996年)が注目され、それをきっかけとして1990年代後半に巻き起こった日本ブームは「哈日現象」と呼ばれる。

  戦後台湾では、国民党政権の脱日本化政策、検閲制度(日本文化への忌避だけでなく、日本語書籍を通した共産主義思想の流入も警戒していた)、さらに1972年の台日断交などのため日本文化の流入が制限されていたが、1993年11月の解禁に至ってようやく公然と語られるようになった。そうした中で巻き起こった「哈日現象」はあたかも1990年代後半になって突発的に現れたようにも見えるが、本書は1945年以降の歴史的背景から分析を加えている。

  国民党政権は自らの政治的正統性を台湾社会に浸透させるため、中華文化の宣揚と脱日本化政策を推進したが、他方で、台湾人には植民地時代に形成されたハビトゥスが残存しており、なおかつ二二八事件や白色テロ等の恐怖政治から国民党政権に対する忌避感が強まり、そうしたハビトゥスを放棄する動機が低下した。そのハビトゥスは次の世代にも伝わり、身体的感覚として日本への好意が残ったため、検閲制度下でも日本大衆文化はアンダーグラウンドで広まった(この現象自体が国民党政権への抵抗意識の表れと言えよう)。こうした状況が後の「哈日現象」の下地を醸成したと捉えられる。

  本書では日本漫画やドラマが台湾でどのように受け止められたのか、精緻なテクスト分析を進めているが、次のポイントに関心を持った。

・日本漫画は非日常的なテーマを描いたものが多く、日本を背景としない作品もある。また、かつて出版統制下にあった頃は「日本の匂い」を抹消して出版されていた→「日本漫画の使用経験によってもたらされたのは、日本漫画に対する信頼度であるが、「日本」に対する「憧れ」までを形成したとはいえないのである。しかし、日本漫画の台湾に対する浸透は、台湾の消費者に日本の叙述体系や思考方法を馴染ませて、日本ドラマやアニメなどの他の日本大衆文化の普及と流行を醸成したのである。」(400頁)

・対して、日本ドラマは「物事、色彩、イメージ的背景、セリフ、俳優の振る舞いなどを巧みに用いて象徴的な表現を作り上げ、ある種の夢のような雰囲気を形成して、視聴者の共感を誘発するのである。さらに、日本ドラマの精緻なセットや美しいロケの場面、服装などは、ある種のリアルさを作り、視聴者にそこに現れた「日本」が実際の日本だと信じ込ませる。日本ドラマはファッションや流行の表現、および愛情のロマンチックな雰囲気を重視しており、それはあたかも日本のイメージ広告であり、ある種の上品な感覚を形成した。したがって、日本ドラマを視聴すること自体に高級感や文化資本を与えるとともに、画面に現れる「日本」にある種の進歩とファッション性を与える。さらに、漫画と異なり、実際のロケと人間が出演する日本ドラマが誘発した消費行為は、日本ドラマ以外の領域まで拡大された。日本への旅行や、ドラマで使用された商品の購買である。また、視聴者は人物に対する好感=欲望を、役者や役者の他のドラマ、商品にまで転化して、一つの消費の循環を形成したり、ドラマ関連の経済効果を拡大したりする。」→「日本」の台湾における「文化の場」での優位なポジション、「日本」が持っている信頼度、日本商品の使用がもたらす上品さ=記号的価値などを形成(400-401頁)→虚像の日本イメージが一つの独立した記号/ブランドとなった(402頁)。

  国民党政権の反日教育の下でもなぜ日本への行為が持続したのか、本書では四つの要因が指摘される。第一に、上述のように植民地時代のハビトゥスが残存し、日本文化がアンダーグラウンドで流通していた。第二に、教育制度を通して日本を敵とみなす集合的記憶が注入されても、過去と現在とを分断した時間と見なし、政治的実体としての「日本」とは分ける形で、日本の大衆文化を受け入れた。第三に、大衆文化の疑中立的・非日常的な雰囲気の中で、一種の虚像として「日本」を受け入れた。第四に、戦後台湾の文化創作は検閲制度のため不振であり、そうした文化市場の空白に、文化的近似性や記号的価値から日本大衆文化が受容された。

  韓国や中国、東南アジアを含めた東アジア世界における日本大衆文化受容を比較考察する場合、台湾では「日本」イメージが国民党政権への抵抗的意義を帯びていたという特殊要因が見出せる。いずれにせよ、台湾における「日本」イメージを考えるというだけでなく、東アジア世界における比較考察を進めるにあたっても本書を精読すれば有意な論点が見出せるだろう。