私が初めて中西牛郎の名前を知ったのは、台湾の大商人にしてキリスト教思想家としても知られた李春生について調べていたときで、李の伝記『泰東哲学家李公小傳』の執筆者としてであった。なぜ日本人が漢文で李春生の伝記を著わしたのか不思議に思い、中西についても調べ始めたところ、日本宗教史で注目される人物であったことに初めて気づいた。とりわけ星野靖二氏が詳細に研究を積み重ねておられる。私は台湾史が専門なので、中西牛郎の台湾における足取りをたどってみようと考え、とりあえず台湾と関係する範囲内で文献目録と年譜をまとめたみた。


  台湾時代の中西牛郎について調べてみて興味深く感じたのは、通例、彼は宗教思想家として論じられているが、台湾では宗教方面に限らず、万能な知識人として様々な分野に腕を振るっていたことである。台湾総督府嘱託として税関に勤務し、財政や土地制度、さらには糖業まで調査、そうした公務員生活の傍ら、新聞・雑誌・同人誌にヨーロッパ思想や東洋思想、現代中国事情などについても論じている。税関勤務は外国人との折衝のため英語力がかわれたのかもしれないし、また台湾知識人向けに『臺灣日日新報』漢文欄でも健筆を振るっている。台湾財務研究会の機関誌『財海』の編集に携わっていたこともある。他方で、宗教関係の論説はほとんど見られず、日本宗教史における彼の存在感と不思議なずれも感じる。私自身としては、中西と李春生との関係のほか、板垣退助が来台して組織された台湾同化会において中西がどのような役割を果たしていたのかに関心がある。


  以下に、中西牛郎と台湾に関わる事項をまとめた年譜を掲げる。

中西牛郎臺灣関係年譜1
中西牛郎臺灣関係年譜2
中西牛郎臺灣関係年譜3
中西牛郎臺灣関係年譜4