自身のための備忘録として日本に存在する媽祖廟の一覧表を作成。いま台湾にいるため、日本語文献の収集がうまくいっていないのだが、全体的な見通しを得るにあたっては、主に藤田明良「日本近世における古媽祖像と船玉神の信仰」(黄自進編『近現代日本社會的蛻變』中央研究院人文社会科学研究中心亜太区域研究専題中心、2006年)と高橋誠一「日本における天妃信仰の展開とその歴史地理学的側面」(『東アジア文化交渉研究』第2号、2009年3月)を参考にした。藤田論文は媽祖像の所蔵地を調査しており、その中には個人宅も含まれているが、以下に掲げるリストでは寺社を中心としている。
  なお、×印は現存しない、もしくは痕跡のみ残っている場所を示している。


【沖縄県】
  14世紀末に琉球へ渡来した閩人三十六姓によって媽祖が伝来したという。沖縄県内の媽祖廟については「首里天后宮」のサイトで丁寧に紹介されている。
http://masosama.ti-da.net/
・首里天后宮(那覇市首里久場川町2丁目90-2)
・天妃宮(天尊廟地、那覇市若狭1丁目25-1):昭和50年に再建
×上天妃宮跡(那覇市久米1丁目3-8):現存せず、天妃小学校敷地内に石門のみ残存している。創建は15世紀半ば頃と推測されている。
×下天妃宮跡(那覇市東町26-29):最古の媽祖廟とされるので、閩人三十六姓によって伝来した際、ここに創建された。ただし、現存せず、現在の東町郵便局あたりだったという。
・真謝菩薩堂(天后宮、久米島町真謝66)
・唐の船御嶽(八重瀬町長毛290-13)

【鹿児島県】
・野間神社(野間権現、南さつま市笠沙町片浦4108):明清交替期に明の武将・林北山がこの地に逃れ、彼が携行していた媽祖の神像が伝来。

【長崎県】
・川内観音堂(平戸市川内町)
・最教寺(平戸市岩の上町)
・分紫山福済寺(泉州寺、長崎市筑後町2-56):原爆で焼失、再建
・聖壽山崇福寺(福州寺、長崎市長崎市鍛冶屋町):媽祖堂
・東明山興福寺(南京寺、長崎市寺町4-32):媽祖堂
・萬壽山聖福寺(広東寺、長崎市玉園町3-77):媽祖像は長崎歴史文化博物館で展示
・天后宮(長崎唐人屋敷)

【兵庫県】
・神戸関帝廟(神戸市中央区中山手通7丁目3-2):媽祖も祀る。http://www.zhonghua-huiguan.com/index.php?mode=kanteibyo

【大阪府】
・道明寺天満宮(大阪府藤井寺市):媽祖像も祀る。

【岐阜県】
?岐阜市聖母堂:岐阜市の「聖母会」が北港朝天宮より分霊(「日將迎祀北港媽祖 傳說天上聖母在岐阜市顯靈」『聯合報』1969年4月12日)。ただし、「聖母会」とはどのような組織で、この組織が建立(を計画)した聖母堂がどこにあるのかは分からない。おそらく岐阜公園内だと思われるが、未確認。

【神奈川県】
・箱根観音曹洞宗大慈悲山福寿院(神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋182):媽祖菩薩
・横浜媽祖廟(横浜市中区山下町136番地、中華街):http://www.yokohama-masobyo.jp/jp/main.html。飯田樹与「横浜媽祖廟建立の背景から見た中華街における役割」『メタプティヒアカ』(名古屋大学大学院文学研究科教育研究推進室年報)第5号、2011年2月。

【東京都】
・東京媽祖廟(東京都新宿区百人町1-24-12、大久保駅近く):http://www.maso.jp/。鈴木洋平・前野清太朗「結節点としての『廟』:在日台湾人コミュニティにおける東京媽祖廟の建立」『東京都市大学共通教育部紀要』第8号、2015年。
×西川満主宰の日本天后会(阿佐ヶ谷):楊熾昌「媽祖史考:朱衣的媽祖,海人的尊崇護神」『臺南文化』新27期,1989年6月。

【茨城県】
  茨城県内の媽祖(天妃)関連の社寺については、主に林雅清・潘宏立・安田ひろみ「茨城県内の媽祖関連社寺に関する現状と信仰の実態について」(『人間学研究』京都文教大学、18号、2018年3月)を参照した。媽祖信仰は、黄檗宗の高僧・心越禪師が徳川光圀に招聘されて水戸へ来た際に伝来したという経緯があるため、徐興慶「明清文化對德川中期日本文化之影響:試論心越禪師之思想變遷」(國立臺灣大學文學院『中國文學歷史與思想中的觀念變遷國際學術研討會論文集』國立臺灣大學文學院、2005年)も参照した。なお、大洗と磯原の天妃神社に関しては、幕末期、国粋主義的な雰囲気の中、徳川斉昭の命令によって天妃像が引き上げられ、かわりに海と関わりのある弟橘媛に差し替えられたという経緯がある。
・祇園寺(以前の天徳寺、水戸市八幡町11-69):天妃尊。http://www.mitokoumon.com/kankou/祇園寺-2.htm。
×天妃山弟橘媛神社(旧天妃神社、北茨城市磯原町磯原196-1)
×天妃山弟橘媛神社(旧天妃神社、東茨城郡大洗町祝町7985)
×旧天聖寺(小美玉市小川)
×天妃神社(下津天妃神社、鹿嶋市下津230)

【宮城県】
×旧御殿崎稲荷神社(宮城県七ヶ浜町)

【青森県】
・大間稲荷神社(青森県下北郡大間町大字大間字大間91)


  上記から見て取れる媽祖の日本伝来に関わるおおまかな傾向を4点あげると、第一に、冊封体制における琉球王国と中国との人的交流により沖縄へ媽祖が伝来。第二に、17世紀頃の明清交替期において商人(いわゆる「倭寇」も含む)や明朝遺臣が長崎や薩摩へ来訪した時に伝来。これと関わるが、第三に、長崎へ来た心越禅師が徳川光圀の招聘に応じて水戸へ移住した際に媽祖が伝来、これがさらに七ヶ浜や大間に伝わった。第四に、開国後の在日華僑や戦後の日台交流活動の中で媽祖廟が建立された。