所用があって外出した折、近くを通ったので、台南新樓医院内にある馬雅各医学紀念館を見てきた。馬雅各とはジェームス・L・マクスウェル医師(Dr. James Laidlaw Maxwell, 1836-1918)の中国語名である。ここは彼を記念した小さな資料展示室で、医療史に関わる文物が展示されている。新樓医院はキリスト教長老教会が運営する病院で、ルーツ的に考えると台湾で最も古い西洋式病院とされている。

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  マクスウェル医師はスコットランドの出身。英国長老教会から派遣されて1865年5月に来台、同年6月から台南看西街で医療伝道を開始した。ただし、周辺住民から迫害を受けて、やむを得ず高雄の旗後半島へ移転したが、1868年12月に台南へ戻り、二老口舊樓で再び医療伝道を行う。1871年にいったん帰国する。1883年に再び台湾へ来たが、健康問題から翌1884年10月にやむを得ず台湾を後にした。


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  マクスウェル医師は19世紀以降、台湾で初めて腰を落ち着けて伝道活動を行った長老教会の伝道師とされている。彼が最初に伝道を行った看西街にはそれを記念して看西街教会が建てられたし、台南中心部にある太平境教会は正式名称を「馬雅各紀念太平境教會」という。彼が設立した二老口医館は1900年に移転して、現在の新樓医院のルーツとなっている。それに、彼の息子であるマクスウェル2世(James Laidlaw Maxwell Jr., 1873-1951)も1901年に来台して、新樓医院の院長になったという縁もある。

  展示品は少ないのだが、私が興味を持ったのは、宣教師ウィリアム・キャンベルが編纂した厦門語辞書(1913年)と、ジョージ・ガスヒュー・テイラー医師(戴仁壽、George Gushue-Taylor,1883- 1954)が台湾語(教会ローマ字)で編纂した『内外科看護学』(1917年)の二冊の原本が並べてられていたこと。後者は台湾人看護師養成のために編纂した教科書である。厦門語と台湾語は共に広義の閩南語に含まれる。長老教会の宣教師はまず厦門、福州等で伝道を始め、そこで厦門語を習得してから台湾へ来たという経緯がある。そのため、台湾語のローマ字表記(台語白話字)も厦門語をもとにしている。当初は聖書や宣教パンフレットの台湾語訳を目的としていたが、こうして医療にも応用されていたことが具体的に分かる。


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(写真は2018年6月12日に撮影)