基隆市長官邸からさらに南の方へ歩いて行くと、古びた日本式家屋がいくつか見えてきた。このあたりの邸宅は、国民政府に接収された後、基隆要塞司令官邸や将校宿舎として使われていたようだ。

  要塞官邸はもともと、日本統治時代の1931年、基隆流水バス会社の社長・流水偉助によって社宅として建てられ、1936年以降は基隆乗合自動車会社の所有となった。国民政府による台湾接収後、もともとあった台湾要塞司令官邸は砲撃を受けて使えなくなっていたので、流水バス会社の社宅を官邸として充当したらしい。

基隆要塞8

基隆要塞6

基隆要塞7

基隆要塞5

基隆要塞1

基隆要塞2

基隆要塞3

基隆要塞4