佳里公園からさらに北へ向かって歩き、十分ほどのところに蕭壠(Soulangh)文化園區がある(写真10、11)。ここはもともと台湾製糖の佳里工場があった所で、もとをたどれば1906年に明治製糖が設立した工場に由来する。1995年に製糖工場の操業が停止された後、台南県政府が工場跡を文化園区として整備した。現在は園内の旧倉庫(写真12、13)で様々な催し事が行われており、私が訪れたときは「作家吳新榮展」をやっていた。写真14は蕭壠文化園區の園内地図。写真15は水牛を使って精糖を行っていたことを示す模型。

(写真10)
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(写真11)
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(写真12)
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(写真13)
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(写真14)
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(写真15)
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  蕭壠という地名は、平埔族であるシラヤ族が住んでいたときの地名Soulanghに由来する。言い伝えとしては、日本が台湾を接収した際、抵抗したこの地の住民を日本軍が皆殺しにするという事件がおこり(蕭壠事件)、「人が消えた」を意味する閩南語の発音に似ていることから「蕭壠」と表記されたとする説もあるらしい。蕭壠事件を記念する石碑が園内に建てられており、その文言は呉密察教授によって書かれている(写真16)。

(写真16)
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  製糖工場には原材料のサトウキビや精製後の商品を運搬するため私設鉄道が敷設されていた。戦後、モータリゼーションの進展によって次々と廃線になったが、蕭壠文化園區内には車庫や路線の跡などがそのまま鉄道パークとして残されている(写真17~22)。また、佳里の街はずれを歩いていたら、道路脇でも線路跡を見かけた(写真23~25)。その近くには踏切近しを示す道路標示まである(写真26)。

(写真17~22)
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(写真23~25)
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(写真26)
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  蕭壠文化園區には西拉雅(シラヤ)平埔文化館も設置されている(写真27)。ここの展示で知った情報をもとに西拉雅の痕跡を探りに行ってみよう。

(写真27)
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(写真は2015年1月3日に撮影)