(承前)南瀛総爺藝文中心はかつて明治製糖株式会社の本社工場があったところで、当時の建物はアートスペースとして活用され、周辺一帯は公園として整備されている。

  明治製糖株式会社が設立されたのは1906年で、日本国内では4番目。総爺の工場が整備されて本格的に稼働し始めたのは1912年以降である。台湾総督府民政長官となった後藤新平は植民政策の方針として産業振興を掲げ、とりわけ糖業に力を注いだ。日本の財閥資本へ投資を呼びかけ、明治製糖には渋沢栄一などが関わっている。ただし、台湾にも在来の製糖業があり、麻豆総爺糖場も当初は地元台湾人によって興されたものであったが、台湾総督府の経済政策によって日本資本へ強制的に買収されたらしい。(なお、私が見たことのある範囲で言うと、例えば宜蘭の酒造工場も本来は地元台湾人が興したものだが、台湾総督府の政策によってやはり強制的に日本資本へ買収されたと解説されており、こうした経緯は当時の台湾の各地で見られたようだ。)

  日本の敗戦後、明治製糖は中華民国に接収されて「台湾糖業公司第三區支社」と改名された。その本部は引き続きここ総爺に置かれて近隣の別の製糖工場の管理も行っていた。世界的な砂糖価格下落という情勢の中、事業転換を図る台湾糖業公司の方針により、総爺の工場は1993年に閉鎖される。1998年に台南県政府から古跡指定を受け、2001年に「南瀛総爺藝文中心」となった。

  園内には日本統治時代に立てられた建築物が保存・修復された上でアートスペースとして開放されている。赤レンガの洋風建築ばかりでなく、当時のゲストハウスや旧工場長宅のような和風建築も復原。中に入るとちゃんと畳敷きで、檜の香りなども心地よい。

43 紅楼2

46 招待所

50 工場長宅1

  顔水龍記念館もここ総爺に設置されている。顔水龍は東京やパリへの留学経験を持つ著名な画家で、台湾における工芸運動の提唱者としても知られる。なお、近くの下営の出身で、生まれ故郷・紅毛厝にある祖厝の隣にも顔水龍記念館がある。

45 顔水龍記念館


  園内は緑豊かで心地よい。公園の中央をまっすぐにのびる並木道は樟。台湾総督府の専売対象ともなった特産品であった。並木道の入口にある鳥居は意味不明。おそらく、日本らしいイメージということで何の脈絡もなく勝手に建てたのだと思う。

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  園内のあちこちに防空壕があり、アート風に仕立て上げられているのも面白い。なお、総爺には世界的に珍しい固有種の蛙がいるらしく、シンボルキャラクターにもなっている。

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53 シンボルはカエル?

  総爺藝文中心の裏道から外へ出る。公園の裏手に嘉南大圳の水路が引かれている。あたりには麻豆特産である文旦の農園が広がっている。(続く)


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