ふぉるもさん・ぷろむなあど

台湾をめぐるあれこれ

本館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/
ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k
(運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設)

栖来ひかり『時をかける台湾Y字路──記憶のワンダーランドへようこそ』(ヘウレーカ、2019年)


  街を歩いていると、時折、街路の構成が不自然な地点にぶつかることがある。たいていの人は特に気にも留めず、そのまま通り過ぎてしまうかもしれない。ただし、そこでピンとくればしめたもの、自らの直観を頼りにその土地の来歴を調べてみれば、芋づる式に様々なことが見えてくる。川が流れていたところが暗渠にされていたり、かつて鉄道路線が走っていたところが廃線になっていたり、そうした変化の一つひとつは些細なことに思えるかもしれないが、都市形成の脈絡において俯瞰してみると、ゲニウス・ロキ(地霊)ともいうべきその土地に固有の事情が見えてくる。私自身はもともと東京育ちで、例えば、陣内秀信『東京の空間人類学』(筑摩書房、1985年/ちくま学芸文庫、1992年)、鈴木博之『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(文藝春秋、1990年/ちくま学芸文庫、2009年)、中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005年/増補改訂版、2019年)といった本を愛読し、それらを手引きに東京の街中をよく歩き回っていたが、東京に関しては類書はもっとたくさんある。


  さて、本書『時をかける台湾Y字路──記憶のワンダーランドへようこそ』は、Y字路を切り口に台湾(主に台北)の街並みに秘められた記憶を掘り起こしていく。もともと日本語・中国語併記の形式で台湾において刊行された『台湾、Y字路さがし。/在台灣尋找Y字路』(玉山社、2017年。以前にこちらのエントリーで取り上げたことがある)をもとにしているが、大幅に改稿され、より読み応えのある内容になっている。現在の街路と古地図とを照らし合わせてY字路という不自然な街路が形成された来歴を明らかにするばかりでなく、その周辺にまつわる原住民族の時代から戒厳時代の悲劇に至るまで様々なエピソードが語られる。現地の写真や古地図、そしてイラストの模式図も豊富に収録され、それこそ台北という都市のゲニウス・ロキをたどる格好な手引きであろう。私自身は台南在住者で、台北には土地勘がないので、本書の臨場感ある叙述はとても助かる。


  以前、玉山社版をブログで取り上げたとき、路上観察学を参考に「それぞれのY字路の形成要因や特徴に応じて分類名をつけてみるのも一つの方法ではないか」(上記エントリーを参照)と書いたのだが、本書では暗渠型、鉄道廃線型、開渠型、旧街道型、幹線延長型、都市計画型などの形で分類名がつけられており、ありがたい。同好の士が台湾でY字路探しをするときの共通タームとなるだろう。


  台湾という島の経て来た歴史的多元性を説明するとき、私もよく地層の比喩を用いるのだが、本書のあとがきにおける次の記述には同意できる。「わたしにとって、台湾のY字路は地層のように重なった履歴の断面図である。たとえてみれば、台湾というミルクレープをY字型に切り出したら、内側からは古く原住民族が暮らしていた時代から、大航海時代、清朝の時代、日本時代、そして戦後の国民党独裁時代、民主化された現代といったレイヤーがクレープ生地や生クリームをとなって幾重もみえてくる、そんな感じである」(244頁)。本書は街歩きのお伴として格好な手引きとなるが、Y字路を観測ポイントとして台湾の多元性を読み解く視点を提供しているとも言えよう。

  開凰宮脇の日本人を祀る廟は、以前、台湾で日本人を祀っている廟をリストアップした中の一つだが、嘉義県の山奥の方なのでなかなか行く機会がなかった。たまたま妻がこの近くへ用事があって車で行くということなので、ついでに私も連れて行ってもらった。


  開凰宮の建物自体は1985年に建てられており、地元のコミュニティーセンターと連結されていることから、この地域の結節点としての役割を果たしていることが分かる。沿革をたどれば道光16(1836)年に池府千歳(王爺)が祀られたことに起源を持ち、さらに天上聖母(媽祖)、女媧娘娘、註生娘娘、土地公、斎天大聖(孫悟空)なども祀られている。
※「開凰宮──文化資源地理資訊系統」(中央研究院人社中心地理資訊科學研究專題中心)を参照。


  開凰宮のかたわらで日本人が祀られている建物には中営と書かれている。比較的規模の大きい廟は東西南北それぞれに営を設けて守られており、中営はその司令部のような役割になる。上記の記事によると、ここで祀られているのは日本時代に国のために犠牲となった千葉少尉とされているが、開凰宮が落成した後、童乩(タンキー)のお告げを通じて千葉少尉はここに住むことを希望したらしく、そのままこの廟の守護神的な形になっている。開凰宮は1985年に建てられているから、千葉少尉がここに祀られるようになったのは割合と新しい。


1
千葉少尉

2


3


4
隣にいる馬と馬匹

5
入口上に「中営」と書かれている

6


7




  開凰宮へも参拝し、中にいた管理人のおじさんに話を聞いてみた。ここで祀られている日本人はかつて村が土匪の襲撃を受けたとき、村人を守って戦い、命を落とした日本の軍人ということだった。土匪が跋扈する状況だったとすると、日本時代初期のことであろうか。近くに彼の墓もあったらしい。ただし、そう言い伝えられてはいるが、記録がないので本当かどうかはよく分からない、ということである。開凰宮の沿革を見ると、清代に土匪の襲撃を受けたとき、開凰宮で祀られている神々が異形の相貌で脅かして追い払ってくれたという記述も見られるので、あるいはそうした記憶が混在しているのかもしれない。


8
開凰宮

9


10
開凰宮沿革

(写真は2020年2月9日に撮影)

新井一二三『台湾物語──「麗しの島」の過去・現在・未来』(筑摩選書、2019年)


  著者の名前は台湾の書店で中国語を用いた作家としてよく見かけていたし、以前には『中国語はおもしろい』(講談社現代新書)や『中国・台湾・香港映画の中の日本』(林ひふみ名義、明治大学出版会)なども読んだことがあった。台湾経験の豊富な著者による新刊ということで去年のうちに入手していたのだが、しばらく多忙のため積読状態にあった。この一月、右肩を骨折して療養生活を余儀なくされ、ようやく読む時間を確保できた次第。


  本書は七つの物語から成る。「第一章 北と南の物語」は台北とそれ以外(≒南)との格差を取っ掛かりに話が説き起こされ、「第二章 母語と国語の物語」では言語とアイデンティティーの問題が語られる。「第三章 鬼と神様の物語」は台湾の日常生活に溶け込んだ宗教文化の話題。「第四章 赤レンガと廃墟の物語」は日本時代の建築の保存・リノベーションの背景がテーマ。「第五章 地名と人名の物語」はいわゆる正名運動を取り上げ、それは同時にアイデンティティーの問題とも関わる。「第六章 台湾と中国の物語」は歴史的背景の中でやっかいな中台関係が語られるが、その中における台湾再発見のプロセスにも注目される。「第七章 映画と旅の物語」では映画「練習曲」と環島ブームとの関わりを念頭に置きつつ、自ら台湾一周旅行に出かける。 総じて、台湾が身もだえしながら自らのアイデンティティーを見つけ出していく物語と言えよう。


  著者自身の台湾滞在経験や台湾の友人知人からじかに聞いた話もおりまぜた連作エッセイのおもむき。台湾社会を考える上で必要なトピックは過不足なく網羅され、一つひとつ掘り下げられたエピソードを通して、この社会の多様な側面をうかがい知ることができる。確かな息遣いが伝わってくる叙述は、勉強するというよりも、ゆっくり読書を味わうタイプの本である。


  ただ残念ながら、歴史や宗教文化に関する説明には誤りや説明不足もあって、私自身にとっては隔靴掻痒の感があったことも否めない。このタイプの本には基本的に好意的であるだけに、ちょっと残念である。ゲラ段階で歴史の専門家にチェックしてもらえば良かったろうと思うし、一部は編集・校正がしっかりしていれば防げたミスである。


・冒頭の「台湾概略図」からしておかしい。地図中に台北県、桃園県、台中県、台南県、高雄県と記されているが、2010年以降の県市合併・直轄市化でこれらはすでに存在しない。古い地図を参考にしたのであろう。
・「媽祖信仰の中心地が台湾西海岸の中部ならば、南部では王爺の存在感が大きい」(99頁)としているが、台南近辺にも有力な媽祖廟があり、台南在住者としては違和感がある。また、王爺の由来に関連して「宗教学者に尋ねても「なにせ民間信仰ですから」としか答えてくれない」(100頁)と記されている。確かに王爺の由来には諸説あって背景は複雑だが、それだけ多くの論文もあり、単に著者が読んでないだけでしょ、としか言いようがない。
・「柳田國男の同郷の友人であった人類学者伊能嘉矩」(161頁)というのもおかしい。柳田は播州の出身、伊能は遠野の出身。『遠野物語』成立の来歴を知らないのだろう。
・「蒋介石夫妻がクリスチャンだったことも影響し、欧米出身の宣教師たちが山地で熱心に布教活動を行うようになった。その結果、一時はほとんどの原住民がクリスチャンとなったほどである」(163頁)という記述も大雑把すぎて突っ込みたくなる。日本統治下で「日本精神」を植え付けられた原住民族の戦後における精神的空白、欧米宣教団の物資援助など、もっと重要な要因を無視して蒋介石・宋美齢の影響力に帰してしまうのは単純すぎる。
・「1661年 明の遺臣で日中の血を引く鄭成功が、オランダを台湾から追放」(176頁)→1661年は鄭成功軍団が攻め込んだ年で、オランダ人が降伏したのは翌1662年である。
・「台湾特有の歴史の中で、民進党は右翼政党とみなされてきた経緯がある」(189頁)→言い過ぎではないか。前後の説明を見ても説得力がない。確かに台湾ナショナリズムに右翼的側面はあるが、他方で人権問題から出発した来歴に注目すれば右翼とは言い切れないだろう。そもそも、右/左の定義が曖昧。
・「台湾の独立建国を目指す動きは、台湾民主国が清朝からの独立を宣言した時にさかのぼる」(196頁)→台湾独立派のイデオロギーとしてそういう議論はあるが、実際には形式的に独立の体裁で清朝へ戻ることを意図していたし、そもそも当時の段階で台湾レベルのアイデンティティーがあったとは考えられない。


  本書はゆっくりと味読しながら台湾に思いを馳せるという点では良い本だと思う。ただし、上記のように記述上の細かな点では問題があるので、レポートや論文の参考文献にはしない方が良い。

このページのトップヘ