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台湾をめぐるあれこれ

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(運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設)

  所用があって外出した折、近くを通ったので、台南新樓医院内にある馬雅各医学紀念館を見てきた。馬雅各とはジェームス・L・マクスウェル医師(Dr. James Laidlaw Maxwell, 1836-1918)の中国語名である。ここは彼を記念した小さな資料展示室で、医療史に関わる文物が展示されている。新樓医院はキリスト教長老教会が運営する病院で、ルーツ的に考えると台湾で最も古い西洋式病院とされている。

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  マクスウェル医師はスコットランドの出身。英国長老教会から派遣されて1865年5月に来台、同年6月から台南看西街で医療伝道を開始した。ただし、周辺住民から迫害を受けて、やむを得ず高雄の旗後半島へ移転したが、1868年12月に台南へ戻り、二老口舊樓で再び医療伝道を行う。1871年にいったん帰国する。1883年に再び台湾へ来たが、健康問題から翌1884年10月にやむを得ず台湾を後にした。


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  マクスウェル医師は19世紀以降、台湾で初めて腰を落ち着けて伝道活動を行った長老教会の伝道師とされている。彼が最初に伝道を行った看西街にはそれを記念して看西街教会が建てられたし、台南中心部にある太平境教会は正式名称を「馬雅各紀念太平境教會」という。彼が設立した二老口医館は1900年に移転して、現在の新樓医院のルーツとなっている。それに、彼の息子であるマクスウェル2世(James Laidlaw Maxwell Jr., 1873-1951)も1901年に来台して、新樓医院の院長になったという縁もある。

  展示品は少ないのだが、私が興味を持ったのは、宣教師ウィリアム・キャンベルが編纂した厦門語辞書(1913年)と、ジョージ・ガスヒュー・テイラー医師(戴仁壽、George Gushue-Taylor,1883- 1954)が台湾語(教会ローマ字)で編纂した『内外科看護学』(1917年)の二冊の原本が並べてられていたこと。後者は台湾人看護師養成のために編纂した教科書である。厦門語と台湾語は共に広義の閩南語に含まれる。長老教会の宣教師はまず厦門、福州等で伝道を始め、そこで厦門語を習得してから台湾へ来たという経緯がある。そのため、台湾語のローマ字表記(台語白話字)も厦門語をもとにしている。当初は聖書や宣教パンフレットの台湾語訳を目的としていたが、こうして医療にも応用されていたことが具体的に分かる。


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(写真は2018年6月12日に撮影)

  先日の土曜日、研究会のため南台科技大学へ行った。いつもは台湾鉄路・大橋駅に近い前門から入るのだが、今回は早めに来て時間があったので、普段は行かない後門の方でふらふら歩いていたら、大学のすぐ向かい側に「姑婆廟」というのがある。珍しいと思い、見に行ってみた。

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  祭神は下記の通りである。
・徐靈聖母姑婆祖
・順天聖母陳靖姑
・中壇元帥
・黑虎將軍
・福德正神
・註生娘娘

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  主神は廟の名称にあるように「徐靈聖母姑婆祖」である。もとの名は徐氏鑾英といい、明代末期の1645年に福建省豐縣翠樟村に生まれたという。父・徐杰興は鄭成功に従って家族を連れて台湾へ来たため、徐氏鑾英も共に来台したものの、父は不幸にして戦死してしまった。徐氏鑾英は寧靖王の下女となり、その花園の管理を仕事にした。寧靖王とは明朝皇族の朱術桂(1617-1683)で、鄭氏政権滅亡時に自殺、その妃たちも自殺して「五妃廟」に祀られていることは有名。「姑婆廟」のあるこの一帯はもともと鄭成功の花園で、後に寧靖王のものになったという。

  徐氏鑾英は生涯未墾で78歳で天寿を全うする。ということは、亡くなったのは単純計算で1723年頃で、鄭氏政権の滅亡、寧靖王の自殺、清軍の駐留といった一連の事態を目の当たりにしていたはずだ。彼女は慈悲深い性格で、生前は常に人助けをしていたという。

  その後、この地で畑仕事をしていた呉清河の夢に「姑婆廟」が現れて廟を建てるよう求められた。当初は石板を使った簡単な廟だったが、参拝者が増え、大きな廟宇に建て直された。さらに、高雄市旗津順天宮から臨水夫人も分霊されている。祭神の一人「順天聖母陳靖姑」とは臨水夫人のことである。

  真ん中の祭壇に「徐靈聖母姑婆祖」と「順天聖母陳靖姑」が祀られ、「中壇元帥」はその守り神であろう。祭壇の下には虎の神像が配置されており、これが「黑虎將軍」(虎爺)である。

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  向かって右側の祭壇には「福徳正神」(土地公)が祀られている。もともとは土地公的な性格を持った廟宇に、後から「徐靈聖母姑婆祖」と「順天聖母陳靖姑」が合祀されたのかもしれない。ちなみに、「黑虎將軍」(虎爺)は土地公や王爺の廟宇によく合祀されている。

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  向かって左側には「註生娘娘」が祀られている。子育ての神様として知られている。未婚だった徐氏鑾英に合祀されているのはやや奇妙にも感じられるが、女性神つながりということかもしれない。

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  本堂の隣には「恩公祠」があり、その中には「衆祖恩公神位」が安置されている。「恩公」というのは「孤霊」の一種なので、無縁仏を祀る形になっているのだろう。

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(写真は2018年6月9日に撮影)

  先日、台南にある日本人を祀った廟についての記事をアップしたが、他にもあるというご指摘を受けて、「裕泉督尉將軍」廟を見てきた。台南市仁徳区の中華医事科技大学から比較的近い「漢士工業股份有限公司」の敷地内にある。私企業の敷地内なので少々躊躇したのだが、バイクで入って行っても、従業員の方々はそれぞれ仕事に集中してこちらを見向きもしないので、そのまま進入した。

  廟はいたってシンプルである。中に日本軍人を模した神像が配置されている。見たところ、明治期の軍装のようである。

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  『自由時報』2008年9月29日付の記事「日陣亡軍官 托夢塑像建廟」によると、祀られているのは「裕泉伸一郎」という名の日本軍人だという。この記事は工場の所有者・邱素蘭女史にインタビューしている。

  以前、近くの高速道路工事現場の土が同工場所在地に棄てられたとき、その土のなかに遺骨が混じっていたという。この「無縁仏」はかつての日本兵だったということで、以前の地主がここに祀った。後に神様から邱素蘭女史にこの日本兵を祀るよう指示があり、彼女は半信半疑だったが、近所の南聖宮「張將軍」にお伺いをたてたところ、やはりそうすべきということで、「和成軒」という仏具店の著名な仏師・謝主義氏に「日本将軍」の神像を作るよう依頼した。謝主義氏は注文を受けて、どのようなイメージにしたらいいのか悩んでいたが、ある日、昼寝していると、その日本将軍が夢枕に立ち、自分の名は「裕泉伸一郎」といい、神像には「裕泉督尉將軍」と刻むように求められた。謝主義氏はそのお告げに従い、夢に見たイメージに従ってこの神像を製作し、邱素蘭女史はそれを工場の傍らに祠を建てて祀ったという。

  なお、邱素蘭女史は「台南市婦女會理事長」という肩書で記事に登場しているが、調べてみるとアメリカ留学経験を持つ会計士で、国民党から立法委員選挙に出馬したこともあるようだ。あくまでも神様のお告げに従って祀っているだけなので(お告げに従えばご利益があるし、従わなければ祟られるかもしれない)、いわゆる「親日感情」とは関係ないように思われる。

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